インタビュー

<第1部>家庭から始まる平和とは?深津高子先生が語るモンテッソーリ教育

深津高子先生(左)と中澤(右)
nakazawayuki

『難民キャンプの保育園で、初めてモンテッソーリ教育と出会いました。

国分寺にある、一般社団法人「AMI友の会NIPPON」のサテライトオフィスで笑顔で出迎えてくれたのは、同団体の副理事長で、国内外で数々のモンテッソーリ普及活動を行う深津高子先生。

多様な経験を積み重ねてきた深津先生が、自身のモンテッソーリ教育との出会いから、モンテッソーリ教育とは何なのか?家庭で取り入れる方法や考え方などを語ってくださいました。

<全2部構成>
第1部:家庭から始まる平和とは?深津高子先生が語るモンテッソーリ教育
第2部:子育てをひとりで抱え込まないで。深津高子先生が語るモンテッソーリ教育

始まりは難民キャンプのボランティア

ー中澤

本日はよろしくお願いします。
まずはじめに、深津先生がモンテッソーリ教育に関わることになったきっかけを教えてください。

ー深津先生

私がなぜモンテッソーリ教育に関わるようになったのかというと、子どもが大好きだとか、昔から幼稚園の先生になりたかったというわけではないんです。

20代のころ、私はデザインの仕事や、日本語を外国人に教え、英語を日本人のビジネスマンに教える仕事をしていました。

その頃、ベトナム戦争が終わり、‘80年代初頭にインドシナ難民キャンプで日本語を教えるボランティアの話があって、やってみることになりました。これは、政治的、経済的に迫害されて自国にいられず、隣国で安全なタイに逃げてきたインドシナ難民に、日本で生活できるようにするために、難民キャンプで日本語を教えるボランティアの仕事でした。

私たちボランティアは、国連の手足となって、日本から送られてきた缶詰を配ったり、着る物もない人たちに衣服を配ったりするのですが、難民の人たちはボランティアが与えてくれる環境にどんどん慣れていき、最終的には海外援助に依存する人々もでてきました。

彼らは自国では自立していても、難民キャンプでは生産活動をしてはいけない決まりがあります。ですから以前は自分で農業を営んでいた人達も、難民になってからは、援助物資など与えられるものに頼るしかない状況になっていきました。

本当は、魚の缶詰を配るより魚釣りを教えた方が自立の援助になるのですが、それが許されない状況で、毎日、違和感を抱きながら救援物資を配給していました。

私は、「いつまで彼らに援助すれば良いのだろう?」「どうすればこの人達は自立できるんだろう?」と、援助する側とされる側の関係を考えました

そして、彼らに出会うたびに「人はどうして戦争を始めるのか?」「平和を創るにはどうしたらいいのか?」と、考えさせられた難民キャンプでの日々でした。

モンテッソーリ教育との出会い

ー中澤

難民キャンプで、どのようにモンテッソーリ教育を知ったのですか?


ー深津先生

それは難民キャンプの保育園です。難民キャンプには、親が地雷を踏んで大けがをしたり、また自分自身も大怪我をした経験を持つ子どもたちがたくさん暮らしていました。

その子どもたちの安心して過ごせる居場所として保育園が設立され、その保育園を見に行った時、玩具がとても素敵なデザインだったんです。

でできた筒に赤と青の蓋がついていて、振ると音がしてね。今、考えたらそれは「雑音筒」ですよね。また、赤と青の色が交互に塗ってある異なる長さの棒を並べたり。今思えばそれは「数の棒」ですよね。

あまりにも美しくて、園長先生に「これはなんですか?」と聞いたら「これはモンテッソーリ教育です」とおっしゃいました。私は「え?何?も、も、もん、て?」という感じでした。

訪問時には子どもは居なかったのですが、難民キャンプの保育園で子どもたちは本当に楽しい時間を過ごしているようでした。

これが、私が初めてモンテッソーリ教育と出会った時です。

戦争も、平和も、人の心から始まる

ー中澤

難民キャンプでモンテッソーリ教育を知って、「学ぼう」と決めたのはなぜですか?


ー深津先生

当時から、私は平和に関わる仕事がしたいと思っていたので、その園の園長先生に「平和に関わる仕事がしたいのですが、国連で勤めるのが良いのかユニセフが良いのか」と色々相談した時です。

彼女は一言、

「平和は子どもから始まりますと言ったのです。

その時私は「なぜ?だって子どもって喧嘩して泣いてばかりなのに、子どもと平和とどう関係があるの?」と心の中で思いました。「変なことを言う人だな」とさえ思いました。

でもその言葉がずっと頭の中にあって、ある時、「もしこの教育が、平和構築に関係しているなら、モンテッソーリ教育の勉強をしてみよう」と、決めました。


ー中澤

そして日本に帰国されたんですか?

ー深津先生

そうです。それから日本で勉強できる所を探して、東京国際モンテッソーリ教育トレーニングセンターに入学しました。

国際免許を取得したら、またカンボジアに戻って来ようという思いで、3年間いたタイでの生活に終止符を打ちました。

後でわかったのですが、カンボジアの保育園で私にモンテッソーリ教育のことを教えてくれたのは、佐藤幸江さんという方で「モンテッソーリの発見」(エンデルレ書店発行)という本など、多くの書籍を翻訳された方でした。

本当にこれは私にとって運命の出会いでした。

子どもたちからの学び

ー中澤

日本で学んだ後は、またカンボジアに?


ー深津先生

いいえ。モンテッソーリ教育を学んだ後は、そのまま日本にいました。本当はすぐにカンボジアに戻ろうと思っていましたが、松本静子先生(AMI東京国際モンテソーリ教師トレーニングセンター創立者であり名誉センター長)に、

「極端な環境の子どもの援助をする前に、明日のご飯に困らない子どもたちにまず関わってみたら?それからでも遅くないわよ。」

と助言をいただいて、「じゃあ1年ほど日本で働いてからカンボジアに行こう」と、府中にあるトレーニングセンターの付属園に就職しました。

でも、そこで子どもたちと関わる仕事があまりにも楽しくて、結局10年以上いることになるなんて、当時は思ってもいませんでした。


ー中澤

子どもたちからの学びも大きかったのですね。


ー深津先生

そうです。クラスの子どもたちは私の恩師であり、永遠の宝物です。

もともと赤ちゃんは平和な存在ですが、平和な人に囲まれて暮らしたり、平和な言葉に囲まれて育ったりすることが平和の芽を育てるということを、深く学ばせてもらいました。

家庭でできる小さなことから

ー中澤

家庭での子育て支援も、とっても大事にされていますよね。


ー深津先生

はい。クラスの中だけのモンテッソーリ教育ではなくて、家庭のなかでできることはたくさんあります。今すぐにでも、台所や風呂場で始められることがたくさんあります。

ユネスコ憲章にはこのように書かれています。

『戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』

文部科学省HP 国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)/The Constitution of UNESCO

心の中に平和を作るには、乳幼児期がどれほどかけがえのない人たちかがわかりますよね。もし世の中に子どもがいないと、言葉も文化も継承されず、私たち人間は存続できないです。

そう考えると、生活文化を伝えることができる「家庭でのモンテッソーリ教育」をもっと知ってもらうための活動が必要なのです。

次回、第2部は子育てのお悩みに応えるモンテッソーリ教育のお話しです。モンテソーリ教育を家庭へ広め、子育てを支援していくため深津先生が中心に翻訳されたサイト『Aid to Life』や、大好評の子育て座談会『Montessori with Tea or Coffee?』についてです。
引き続き、どうぞお楽しみください。


AMI友の会NIPPONは、どなたでも参加できます。ぜひ一緒にモンテッソーリ教育の輪を広げていきませんか?
>>>『AMI友の会NIPPON』

友の会で翻訳されたサイト
>>>『Aid to Life』

カフェスローで開催しているモンテッソーリ子育て相談室
>>>『Montessori with Tea or Coffee?』

プロフィール】
深津高子(ふかつたかこ)
国際モンテッソーリ協会(AMI)公認教師
一般社団法人AMI友の会NIPPON 副理事長
ピースボート「洋上子どもの家」アドバイザー
AMIモンテッソーリ教師養成コースの通訳や講演、翻訳などを通して「平和はこどもから始まる」というモンテッソーリ博士のメッセージを普及している。


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中澤有希
中澤有希
株式会社Trecce代表
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