インタビュー

<第1部>三浦先生が語るモンテッソーリ教育への想い~モンテッソーリ教育との出会いからトレーナーになるまでの軌跡~

三浦勢津子トレーナー
nakazawayuki

東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターの代表を務め、AMI3-6教師養成トレーナーの三浦勢津子先生。トレーニングコースの卒業生でもあるTrecce代表中澤がインタビューし、先生のモンテッソーリ教育への想いをお聞きしました。

モンテッソーリ教育、そして子育ての軸になるような素敵なお話を3部構成でご紹介します。

第1部:モンテッソーリ教育との出会いからトレーナーになるまでの軌跡
第2部:モンテッソーリ教育への想いや、家庭でのモンテッソーリ教育のあり方
第3部:日本のモンテッソーリ教育の課題点と読者へのメッセージ

モンテッソーリ教育との出会いはアメリカ

中澤有希(Trecce代表。以下、中澤):

三浦先生、早速ですが、まずは三浦先生とモンテッソーリ教育との出会いについて質問させてください。


三浦勢津子(AMI3-6トレーナー。以下:三浦先生):

モンテッソーリ教育との出会いは、24年くらい前です。まだ娘が赤ちゃんだった頃、アメリカのボストンでアート関係の通訳をしていました。

そこで出会った、音楽大学の学生さんがプリスクール(幼児施設)で音楽を教えていて、「楽器を取りに行くから一緒について来てくれない?」と言われて行ったところ、そこがモンテッソーリのスクールだったのです。


建物の中に入るとお部屋が整然と美しく、大変驚きました。まるで現代美術館のような雰囲気でした。今、思えば、感覚教具であるピンクタワー、茶色い階段、赤い棒、二項式の立方、三項式の立方、数教育の教具の印象だったのだと思いますが、環境の整然としている佇まい、また、美しい教具のフォルムに感動いたしました。

ここが保育施設なのかと驚いて、音楽大学の学生さんに聞いたら「そうです。ここはモンテッソーリ・スクールですよ。」と教えてもらいました。

「モンテッソーリ教育」というものを全く知らなかったので、整えられた環境や、教具の美しさを目の当たりにして衝撃でした。私の抱いていた幼児のための保育環境の固定観念が大きく覆されました。

その時はまだ娘が生後10カ月くらいでしたが、1歳半を過ぎてアメリカで幼稚園を探し始めた時に、同じように整えられた環境のモンテッソーリのプリスクールを見つけ、そこに娘は入園しました。

本格的に関わるようになったきっかけ

中澤:

モンテッソーリ教育と出会った時、通訳のお仕事をしていたと仰っていましたが、そこからどのような流れでモンテッソーリ教育に関わっていくことになったのでしょうか?そして、学ぼうとまで思ったのは何がきっかけですか?

三浦先生:

娘はアメリカでモンテッソーリの子どもの家に通っていましたが、3歳の時に家族で日本に帰国することになりました。


そして最初は日本の普通の幼稚園に通ったんですね。娘はそれなりに適応していたと思います。ただ、園児の数が多いマンモス幼稚園で、秋に帰国したこともあって、大人数で一斉に行う運動会の練習などを見ていて、私は「やはり、モンテッソーリ教育が良い」と思い、モンテッソーリ園を探しました。

そして、見つけたモンテッソーリの幼稚園に通わせるべく、その園の近くに引っ越しました。


中澤:

そうなんですね!それはご家族の同意があって「是非、行こう」という形で全員で引っ越されたのでしょうか?


三浦先生:

そうですね。娘の教育が最優先でした。そこで入園したモンテッソーリ幼稚園でAMI(国際モンテッソーリ協会)の0-3歳のためのトレーニングコースを開催しており、そのコースのトレーナーが、シルヴァーナ・モンタナーロ博士でした。

園長先生の方から「通訳を探しているのでやって欲しい」と頼まれ通訳を引き受けたのが、モンテッソーリ教育と関わるようになったきっかけです。

モンテッソーリ・コースの通訳から実践者へ

三浦先生:

シルヴァーナ・モンタナーロ博士の講義では、多くの驚き、そして発見がありました。その内容は幼児教育にとどまらず、「人間とは何なのか、人間はどのようにして発達していくのか」という深さを感じ、大変感動しました。


当時、私は幼児教育には携わっていませんでしたが、「今後少なくとも10年間はモンテッソーリ教育を学ぶことに費やしてみよう」と決めました。

それから20年以上経っていますが、当時はすでに30代後半で自分でもどこに向かうかもわかりませんでしたが、とにかく学んでみようと思い、翌年また通訳をしながら学生になり、AMIの0-3国際モンテッソーリ教師資格を取りました。


中澤:

先生のモンテッソーリ教育との出会いを初めて知りました。


三浦先生:

通訳をしながら0-3歳のモンテッソーリ教育の勉強を続けていたのですが、ある海外の教師養成トレーナーの方に、「本当にモンテッソーリ教育を理解したければ、3-6歳が中核なので勉強した方がいいですよ。」と言われて、0-3コースの通訳を3コースした後に、今の東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターに松本静子先生の学生として入学しました。


中澤:

0-3のディプロマを取得された後、松本静子先生の元で3-6のディプロマを取得されたのですね。資格を取った後は、現場に行かれたのですか?


三浦先生:

私は教育現場未経験で、その上もう40歳を超えていたので「就職できないかもしれない」と思っていたんです。しかしご縁があり、「Montessori School of Tokyo」というインターナショナルスクールに就職することができました。

そしてクラス運営をする担任として、現場で教えるチャンスにも恵まれました。

恩師のすすめでトレーナーの道へ

中澤:

モンテッソーリ園に就職されて、現場の教師として忙しい毎日を送られていたと思いますが、教師からトレーナーになろうと思われたきっかけはあったのでしょうか?


三浦先生:

クラス担任として仕事をし初めて6年が過ぎようとしていた頃、静子先生から「トレーナーを目指してみたらどうですか」とお声をかけて頂いたのがきっかけです。

静子先生に「チャンスは二度と訪れませんよ。もし、AMIのトレーナーになるチャンスがあるとしたら、今です。」と言われたのがきっかけですね。

日本では、松本静子先生が唯一のAMIトレーナーだった時代が40年以上あったので、 その後を継ぐトレーナーになろうと決意するのは時間がかかりました。

アメリカとインドで5年間のトレーナー修行

中澤:

トレーナーになるには、訓練が必要かと思うのですがどのような内容なのですか?


三浦先生:

AMIでは、「トレーニング・オブ・トレーナー」という、トレーナーになるシステムがあります。志願するためには、AMIの教師資格を取得した後、5年以上保育経験を同じクラスで積むという条件があります。その後、自分のクラスをしかるべき人にみてもらい、AMIに認められると、トレーナーとしての訓練を始められます。


そして、トレーナーになるためには、3コースを経験あるトレーナーの元でインターンとして経験することと、モンテッソーリ教育に関する25もの論文を提出し、AMIに認められることの2つが課されています。

私はアメリカのセントルイスで、 アネット・ヘインズ博士のコースにインターンとして2コース入りました。もう一つのコースは、インドのトレーナー養成集中コースに6回参加しました。トレーナーを目指していた5年間は、3ヶ月に1回は海外に行っていました。

海外に行き、英語でモンテッソーリ教育理論(発達心理学)の講義をしたり、提供を見せたり、学生の練習を監督することが課されました。発達心理学や各分野の論文を英語で書き、25本以上出さなければいけなかったのですが、本部の委員会から指摘があった場合、修正は2回までが許されています。3回目になってしまうと、トレーナーには向いていないとしてアウトになってしまうので、1回で直しがなくOKが出たときは嬉しかったですね。


中澤:

基準がとても厳しいのですね。提出しなければならない25本の論文が合格すれば、准トレーナーになれるのでしょうか?


三浦先生:

論文をすべて提出して合格し、無事インターンも終えると、やっと准トレーナーになることができます。そしてそこから自分でテーマを決めて長い論文を書き、アシスタントコースを行って、それでやっとAMIのトレーナーになれます。


中澤:

トレーナーになるまでの5年間は、日本から海外に何度も行かれて、その期間は家を不在にされることも多かったと思いますが、ご家族の理解と協力、また応援があったからこそ達成できたのですね。


三浦先生:

はい。家族のサポートには心から感謝しています。主人のサポートもさることながら、トレーナーに挑戦し始めた時には娘が高校生になっていたので、ある程度自立していて、あまり手がかからなかったというタイミングもありましたね。

娘は全て一人で大学受験もこなしました。彼女が自立してくれていて本当に助かりました。

続けられたのは、使命感と楽しさ

中澤:

トレーナーになるためには、膨大な提出物や学びにかなりの時間と労力を費やしたかと思うのですが、5年もの歳月をかけて最後まで(トレーナーになるまで)やり遂げられた原動力は何だったのでしょうか?


三浦先生:

そうですね、私がトレーナーのトレーニングを始めた時に、現役で教師養成をしていらっしゃった松本静子先生は、すでに90歳を越えていらっしゃいました。

今、私がやらなければ、ここで東京国際のコースはどうなってしまうのだろう、という気持ちがありました。日本でAMI(国際モンテッソーリ協会)の3-6歳のディプロマが取れるトレーニングセンターがなくなってしまうかもしれない、と思いました。


また、トレーナーになるための努力を続けられたのは、学ぶことが純粋に楽しかったからです。もちろん大変なこともたくさんもありましたが、海外に行き、素晴らしいトレーナーのもとで勉強し、また同じ志をもった海外のトレーナー候補たちと切磋琢磨する。学生の時は気が付かなかったことも理解できることがたくさんありました。

海外で出会う多くのモンテッソーリアンたちに刺激をもらい世界が広がりました。

中澤:

素晴らしいですね。すごく世界が広がった経験だったということが伝わってきます。

続きは、「第2部:モンテッソーリ教育への想いと、家庭でのモンテッソーリ教育のあり方」です。引き続き三浦勢津子先生のインタビューをお楽しみください。


第1部:モンテッソーリ教育との出会いからトレーナーになるまでの軌跡
第2部:モンテッソーリ教育への想いと、家庭でのモンテッソーリ教育のあり方
第3部:日本のモンテッソーリ教育の課題点と読者へのメッセージ


三浦勢津子先生がトレーナーを務める、「東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター」の詳細情報はこちら。


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中澤有希
株式会社Trecce代表
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