モンテッソーリ教育との出会いで激変した私の子育て-第1章

nakazawayuki

〜第1章〜

33時間以上の難産を乗り越え、やっとこの手に抱いた我が子ですが育児の疲労はピークに。産後うつのようだった当初の私を救ってくれたのは、「ある出来事」でした。
第1章では、そんな「ある出来事」がきっかけで、「モンテッソーリ教育」を知ることになり、その後の子育てや人生までも変わっていった私の経験を、赤裸々にお伝えしようと思います。

初めての出産

私は2016年の秋に娘を出産しました。当時は「モンテッソーリ」という言葉すら知らず、知ったのはもう少し後になってからでした。


予定日から4日が過ぎたある日。

朝方4時に腹痛を感じ、お手洗いに行くと「おしるし(出産間近にある出血)」がありました。

もうすぐ産まれるんだ、という不安がよぎると同時に、どこか冷静にその時を待つ自分がいました。いつもの朝と同様に、夫のお弁当を作り、鈍い痛みを我慢しながら少し横になってうとうとしていました。

午前10時頃。痛みがどんどん増してきたため夫の運転する車で病院へ行きました。こんなに痛いのだからもうすぐ産まれるのかと思っていたら、子宮口はまだ4センチしか開いていないとのことでした。「もうすぐ生まれますか?」という夫の質問に「まだまだよ!今日中には産まれないかもね!」と言う看護師さんの声が聞こえ、愕然としたのを覚えています。陣痛室で痛みに耐え、意識が遠のく中、朝を迎えることになりました。

そして翌日、ついにその時がきました。大きな産声をあげて産まれてきてくれたのは午後13時を少し過ぎた頃でした。
出産が終わった時の脱力感は今でも覚えています。我が子が無事に生まれてきてくれたことに安心すると同時に、タオルに包まれた小さな赤ちゃんを見て、

「この子が私の赤ちゃんなんだ・・・」と、何だか不思議な気持ちになりました。

不安な日々

もちろんわが子は可愛い存在でしたが、初めての育児でとても神経質になっていました。抱っこしていないと泣いてしまい、やっと寝かしつけても布団におろすと泣いてしまうという繰り返し。可愛いはずのわが子を見て「私は他のお母さんより愛情が少ないのかな・・・」と思ったこともありました。生後7ヶ月までは夜泣きがひどく、外が明るくなるまで途方にくれたことも少なくありません。

朝、夫が会社に出勤する時に玄関のドアが閉まると、涙が出てきました。


私が落としたら死んでしまうかも知れない小さな命と2人きりという不安や孤独と、いつも隣り合わせでした。なぜわが子が泣いているのかも理解できず、

「自分は子育てに向いていない・・・」

と、すっかり自信をなくしていました。

そんな感情の中でも、子どもに笑顔でいて欲しくて、毎日散歩に連れて行ったり、ドライブしたりと、外に出ることを意識して、なんとかその日1日を楽しく過ごそうと心がけていました。

運命の「ある出来事」

幸せを感じながらも、疲労がピークに達していた生後1ヶ月のこと。ある出来事が、私の中に衝撃を走らせました。

ある日、祖母が娘にベッドメリーをプレゼントしてくれました。タイマーをセットするとオルゴール調の音楽が優しくなり、5つの小さなぬいぐるみがゆっくりと回転するものです。

それまで、一人でベッドに寝かせると泣いてばかりの娘でしたが、そのメリーをつけた瞬間、ベッドで1人寝転びながら、じっとそのメリーを見つめ、タイマーが切れて音楽が止まると「んーんー」と言って私に知らせてきたのです。


初めは「たまたまかな?」と思いましたが、それは1日中何度も何度も繰り返されました。
その現象を見た時、私の中で何かとても重大なことを発見したような気がしました。

それは言葉で表現できない、何かとてつもない衝撃と感動でした。

今まで、私が四六時中抱っこしていなければ、世界中どこにも落ち着く場所なんてないかのように泣いていた小さな小さな命に対して、

「この子は1人の人間なんだ。私とは別人格なんだ。」と感じたのです。

私の一部などではなく、これから意思を持って1人の人間に育っていくというその紛れもない事実を、その時はっきりと感じました。

この気づきは、その後の私の子育てに大きく影響し、私がモンテッソーリ教育に興味を持ち共感するきっかけとなったのです。


モンテッソーリ教育との出会いで激変した私の子育て

第1章
第2章
第3章
第4章<最終話>

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中澤有希
中澤有希
株式会社Trecce代表
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