モンテッソーリ教育との出会いで激変した私の子育て-第2章

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nakazawayuki

〜第2章〜

第1章では、初めての出産で産後うつのようになっていた私が、「ある出来事」をきっかけで子どもは自分とは別人格なんだと気づくまでのストーリーをお伝えしました。
第2章では、「モンテソーリ教育」を知ってから私自信が激変するまでをお伝えしていきます。
これから子育てする方、今まさに子育て中の方にも、子育てのヒントや励みになれば嬉しいです。

ひとりの「人」として尊重

生後4ヶ月〜7ヶ月まで、毎晩のように夜泣きがありました。私がぐっすり眠れる時間はなく、夜は本当に疲れて辛い時間でした。


それでも、朝日が登ると娘に「おはよう」と言い、娘の笑顔を見ると夜中の苦痛はウソだったかのように癒され、毎日公園や近所に散歩に連れて出かけてはたくさん話しかけました。
幸い、夜泣き以外で困ったことはなく、体もとても丈夫で活発に育っていました。

日々違った成長が見られ、「こんなこともできるようになった」「こんな表情をするようになった」など、ますます一人の人間として尊重するようになりました。


この頃、まだモンテッソーリ教育についてよく知りませんでしたが、私は、「今はとても手がかかるけれど、この子が自立して活動できるように、最大限のサポートをしよう」と思っていました。

今、この子は何をしたいのだろう?どこまで理解できているのだろう?と、子どもをよく見て、本当に危険だと思う事以外はなるべく活動を止めることはしませんでした。アパートの階段を這い上がろうとするわが子と共に、ずいぶん長い時間を階段で過ごしたこともありました。

モンテッソーリ教育との出会い

ある時、子どもの発達についてインターネットで調べている時「モンテッソーリ教育」についてのいくつかの記事を読みました。

「子どもは自分で自分を成長させる力がある」という考え方は、今まで私自身が思っていた「自立でるようにサポートしたい」という考えと重なり、

「私が目指す子育て、教育はこれだ!」と直感的に感じました。


生後1ヶ月の時に、ベッドメリーを真剣に見つめる娘を見て感じた、「この子は私とは別人格なんだ」「今から意志のある人間へと育っていくんだ」という感情を思い出し、私の中に「子どもを信じる力」が湧いてきたような気がしました。


それがモンテッソーリ教育との運命の出会いとなり、いつしか「大人は子どもの自然な発達を邪魔してはいけない」というモンテッソーリ教育の精神が、自然と定着するようになっていました。

心がけていたこと

私は、特に育児本を読むことはなく、何か困ったことや疑問に思うことがある時にネットで調べる程度でした。

そのため、モンテッソーリ教育について、特別熱心に情報収集していたわけではありません。幸い、「知育」などの情報に翻弄されることはありませんでしたが、自分なりに子どもの発達を見守れる母親になろうと心がけていました。

娘が少し動けるようになってくると、水道で手を洗ってあげると水を触りとても喜ぶので、暑い日は服を脱がせてそのまま洗面台に入れて遊んだり、ティッシュを1枚1枚出すことに夢中になるならそのまま止めませんでした。



家の階段もどんどん這い上がって行くので、落ちても支えられるように後ろから見守り、おもちゃ箱から物を出しては入れる、本棚から本を出しては入れる行為を繰り返すなど、当時の私には到底理解できない行動ばかりでしたが、娘の一生懸命な姿を見て、「きっと止めない方が良いだろうな」となんとなく思っていました。

どんな理由があって、なぜそのような行動をするのか、この時は全く理解していませんでしたが、その頃から、私の子育てはとても楽になり、それは子どもが変わったのでなく、間違いなく私が変わったからでした。


モンテッソーリ教育との出会いで激変した私の子育て

第1章
第2章
第3章
第4章<最終話>

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中澤有希
中澤有希
株式会社Trecce代表
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