モンテッソーリ教育との出会いで激変した私の子育て-第3章-

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nakazawayuki

〜第3章〜

第1章と2章では、「ある出来事」をきっかけで子どもは自分とは別人格なんだと気づき、「モンテソーリ教育」との出会いで私自信が激変するストーリーをお伝えしました。
第3章では、仕事復帰して忙しくなった私とイヤイヤ期真っ最中娘との葛藤の日々。その後モンテソーリ教育を本格的に学びはじめ、気ついたことがたくさんありました。
今から子育てする方、今まさに子育て中の方にも、子育てのヒントや励みになれば嬉しいです。

仕事復帰後の忙しさ

娘が1歳半の時、仕事を再開しました。

朝の7時40分から、夕方18時頃まで保育園に預けることになり、娘も私もとても忙しい日々。朝の支度がスムーズにいかないとついキツく怒ってしまい、泣く娘を無理矢理保育園に連れていくような日も少なくありませんでした。

モンテッソーリ教育を知ってからも、家で何か特別なことを取り組むことはしていませんでしたが、心はいつも娘の自立をサポートすることを考えて接していました。


しかし復職してからは忙しさに追われ、その心がけも忘れていたようです。

1歳半という年齢でイヤイヤ期と言われる時期と重なり、大声で泣き止まない娘から離れ、私も泣いてしまう時もありました。

当時の私は、「ああ、また今日もこんなに怒ってしまった」と反省する毎日。


いつしか、困った時の子どもの対処法などをネットで検索するようになりましたが、どれもその場限りのもので根本的な解決や理解にはなりませんでした。

私が求める「子どもの本質を理解するもの」とは違い、どうしたらもっとわが子を理解できるだろうと悩む日々が続き、子どもの発達や行動などをちゃんと理解して向き合いたいという気持ちが強くなったのもこの頃です。

本物のモンテッソーリ教育を知りたい

娘が2歳になる年に、今住んでいる地域に引っ越しをし、翌年今の幼稚園に入園しました。

新しい家での生活も落ち着き、4歳を目前にした頃のことです。
娘が徐々に自立していくのと同時に、意志も発達し、言葉での自己表現が増えたこともあり、人としてどんどん成長していくのを日々感じていました。

ある時ふと、「ある出来事」のことを思い出しました。
それは、娘が生後1ヶ月の時に一人でじっとベッドメリーを見つめていた時の、あの出来事です。
(→第1章へ)


そして私は、あの時からずいぶん成長した娘の発達を振り返り、

「子どもの神秘的な成長について詳しく知りたい。あの時に知った、モンテッソーリ教育について勉強してみたい。」

と思うようになりました。

子育てに悩んだ時や、子どものことを理解したいと思った時、その場限りのネットの情報を検索しながら、結局子どもの本質はわからないままで終わるのではなく、もっと人生の役に立てるような「本物のモンテッソーリ教育」を学びたい。そう思ったのです。

入学を決意

娘が年中になり、私の心に少し余裕が出てきた年。ついにずっと学びたかったモンテソーリ教育の世界へ飛び込むことを決心しました。

私が学んだのは「東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター」です。自宅からは車で2時間以上かかる場所でしたが、週4日でリモートもあるとのことで、なんとかできるだろう!という勢いで入学。家族も応援してくれました。

恩師の三浦勢津子先生の授業は、本当に心打たれるもので、毎日新しい学びの連続でした。モンテッソーリ教育を学ぶということは、決して提供(教師が子どもに教具の使い方を見せる)だけではありません。子どもの発達心理から、教師としてのあり方まで、本当に幅広く、深く、そして美しい学びでした。

入学した初めの頃、先生がおっしゃった言葉の中で、家庭での子育てや教育について深く考えさせられたものがあります。

それは

「家庭の中で、お母さんはお母さんでいてほしい。お母さんが家庭の中で教師になってしまったら、子どもはどこで休むのでしょうか。どこで安心できるのでしょうか。子どもが何かに失敗してもいいんだ、間違えてもいいんだ、と思えるように、お母さんだからこそ見守ってほしい。」

と言う言葉。
これは、モンテッソーリ教育に限らず、「早いうちから家庭で子どもに教えた方が良い」というメディアの発信に混乱してしまう多くの保護者がいる現代社会で、子育てや家庭での教育において、最も根本的で大切なことを思い出させてくれるものでした。これからも、家庭でのモンテッソーリ教育において大きな課題となることだと思います。


このように、モンテッソーリ教育を学ぶということは、単に「教育メソッド」を知るだけではなく、学んだ人の心に「本当の意味での、子どもへの援助とは何か」「私たちは、それぞれの立場で、どのように子どもの命が育つお手伝いをするべきなのか」ということに気付くための学びなのだと、感じました。

家庭で重要な、たった2つの事

それから、私は家庭でできることは何だろう?学んだことをどのように家庭で応用できるだろう?と考えた結果、2つの答えに辿り着きました。


1つ目は

「日常生活を、幸せなものにする。」ということです。

シンプルで当たり前のような事ですが、特別な場所に連れて行く事よりも毎日の「小さな幸せ」を積み重ねることが、家庭でできる最も重要な心がけだと気が付きました。

「小さな幸せ」は日常生活の中のちょっとした心がけで、たくさん生まれます。子どもは、「やってもらうこと」ではなく、「自分でできること」に何より幸せを感じるからです。普段の生活の中に溢れるたくさんの困難に立ち向かい、克服することに常に夢中なのです。

自分のことが自分でできた。自分にも役割がある。誰かの役に立っている。自分は家族の一員であり、愛されている。毎日のささやかで、ありきたりな生活の中でも、子どもはそのように感じる一つ一つの出来事に幸せを感じて、「自信」や「自尊心」に繋がります。

子どもの自立は大人からの解放で、そこから世界が広がり、人間の基礎が強く育っていきます。

そのために大人は、今、目の前にいる子どもは何を求めているのだろう?自分は、過保護・過干渉になっていないだろうか?子どもが自分で訂正するチャンスを奪っていないだろうか?子どもが自分でできるような環境になっているだろうか?など、「やってあげること」より、「子どもが自分でできるように」を意識することが重要だという事です。


そして2つ目は、

親である自分自身が幸せでいること」です。

モンテッソーリ教育では、まず子どもは「自分自身への配慮」として自分を大切にすることを学びます。自分自身が満足していないのに、お友達に譲ることや待つこと、優しくすること、周りの環境を大切にすることはできないのです。


それと全く同じ事が大人にも言えます。自分のことは二の次になり、周囲のことばかり気にして他者を優先していないでしょうか。辛い時は誰かを頼って良いし、間違っても良い。何もしないで休んでも大丈夫です。1人の時間を贅沢だなんて思わないで、自分を幸せにしてあげること。

時に、子どもをきつく叱ってしまって、自分を責めてしまうこともあります。でも、素直に子どもに謝れば良いんです。「さっきは怖い言い方をしてごめんね。ママも反省しているの。ママ、言い方を間違えちゃった。ママも完璧じゃないんだ。許してくれてありがとう。」と。

自分自身が幸せでいることで、それが家族全体に伝わります。「子どもの日常生活を幸せにする」にはとても重要な事ではないでしょうか。





モンテッソーリ教育を学んでから、これまで以上に子どもを尊重することを学び、子どもの成長を感じ取れるようになりました。子どもの根本を理解することで、以前よりも落ち着いて子育てができるようになり、私自身も大きく変化することができました。


モンテッソーリ教育との出会いで激変した私の子育て

第1章
第2章
第3章
第4章<最終話>

ABOUT ME
中澤有希
中澤有希
株式会社Trecce代表
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